「嫌い」から「己のアイデンティティ」が見えてくる
「あの人嫌い」
「なんかコレ嫌いやねん」
そんな感情をアナタも持った事ありません?
この感覚ってネガティブなイメージでとらわれてしまうけど、実は「己のアイデンティティ」を見出してくれるモノだと思っています。
アイデンティティって何かって言ったら、「独自性」だとか「本質」だとか色々意味合いがあるんだけど、僕は「己の軸になるもの」に近いモノって解釈しています。
この部分がないと、何をしていてもフワフワ宙を漂ってるような感覚に陥ってしまって「アイデンティティクライシス」に陥ってしまうんですよね。自己の喪失ってやつです。
それこそ、軸になるものが無い感覚かも。
話を戻すと。なんで「嫌い」から「己のアイデンティティ」が見えてくるのかって言ったら、「誤魔化しが効かない」からなんですよね。
逆にいうと「嫌い」の反対の「好き」ってのは、いくらでも誤魔化せるんすよ。「まぁ好きっちゃ好きやな」とか「まぁ悪くないよな」ってな具合で。笑
でも「嫌い」となるとそうはいかない。器用な人はある程度は誤魔化せるかもしれないけど、ストレスって形で体に蓄積されていくし。結果的に「誤魔化せない」って事になると思います。
そこに嘘偽りない己の「コア」な部分と出会えるんですよ。
「なぜ自分はあの人が嫌いなんだろう?」
「なぜ自分はこの世界観が苦手なんだろう?」
って感じで、嘘偽りないからこそ、真正面から自分と向き合うことができる。
ここに、コアな「アイデンティティ」が宿ってる。
「己の軸なるもの」が見えてくるって事かなと。
身の振り方。姿勢。
自分の目指したいと思う所。
好きな世界観。
そういうものは、己が「嫌いなこと」から相対的に見えてくるものだから。
余談だけど、こういう話をすれば「イエスマン」ってのはどうなの?って話になると思います。実は「イエスマン」と「この話」は、結構リンクしてる部分があって面白かったりします。
「イエスマン」は、普通の人よりも多くの行動やチャレンジをして、アウトプットとインプットを増やしていく。それが結果的に、自分を成長させる事になる。
って感じだと思うけど、要するにこれって「外部から己に働きかけるもの」によって、己自身が変化していくっていう事ですよね。
いわば「嫌い→己のアイデンティティが見えてくる」の逆なんすよね。これは内側から己に働きかけるもので、イエスマンは外側から己に働きかけるもの。どちらも重要な事で、正反対のように見えて実はリンクしてて、アシンメトリーのような構造をしてる。
哲学的に、面白いなーと勝手に思ってます。完全に余談ですけど。笑
まぁ何が言いたいかって、「嫌い」ってのは何もネガティブな事じゃないってことです。むしろ最も大事な感覚かもしれません。
それを基準に物事を判断した方が、自分が本当に目指したい事が見えてくるんじゃないかな。