『働き方』は自分で選ぶ。まず、必要なのは「覚悟」ではなく「諦め」だと思う。
どうも。「あなたの街の映像作家」の門井はじめです。
近年「働き方」って事について、SNSやテレビや雑誌などのメディアでもよく騒がれてると思います。基本的にはサラリーマンなど会社や組織に属して働いている人が多いんだろうけど、それをしながら副業をしたり、組織に属さないフリーランスという働き方を選ぶ人もいるし、自分で会社を立ち上げたりする人もいる。
別に正解はないし、間違いもない世界です。
別にフリーでやってるからって偉いわけじゃないし、会社員だからって偉いわけでもない。社長だからって別に偉いわけでもない。各々がその働き方を選んだってだけの話かなと。
かくいう自分は、現在はお寺でお坊さんをしながら、フリーで映像クリエイターをやっている訳です。方々から「どちらかに絞ったほうがいい」や「どっちが本業なの?」などなど、色々な事を言われますが、僕自身は2つともやると言う選択をとりました。
理由は1つだけ。
「やりたい事をやりたいし、世話になった場所も守りたい」ってだけです。
だから2つともやろうかなと。いや、、正式には「やってみようかな」ってのが正しいっすね。
自分の話をすると、元々は、フリーターしながらお寺の仕事を手伝っていたんですけど、あるキッカケがあって映像の世界にハマってしまったんです。「面白い」って思ってしまったから仕方がない。面白いし興味ありまくるから、”とりあえず” やってみようと思って始めたのが最初です。
それが気がつけば、めちゃくちゃハマってしまって今に至るわけなんです。
話は戻りますが、今現在も「やってみる」の延長線上に自分はいます。で、さらにコレをクリアできることは一生ないのではないかなと。理由はいつどうなるかなんか、自分には分からないから。
死ぬまで続けているかもしれないし、明日事態が急展開してるかもしれない。全部辞めて、また違う道を歩き出すのかもしれない。そういうのは今の自分には分からないから、考えるだけ無駄かなと。こういうのは自分が東南アジアを旅してて学んだ事っすね。思ってた事と違うことなんか当たり前なんです。
とにかく今目の前に、映像というめちゃくちゃ面白いと思えるものがあって、その面白いと思えるモノを人が喜んでくれるという現実がある。もっと良いものを作りたいと思える情熱がある。お寺って環境にいたからこそ、出会えた人たちがいて、「人」「己」という事について考えさせてくれる現実がある。
よく分からない机上の空論よりも、僕はそっちを信じてみようと思ったわけです。
こういう話になると、「覚悟」がなんだという話にどうしてもなってしまうんですが、僕は最初の段階は「覚悟」なんかよりも「諦め」の方が大事だと思っています。覚悟は、その自分の選んだ道の中で色々な経験をして徐々に決まってくるもの。普通はいきなり覚悟なんか決めれるわけがない。
だから、まずは諦めたらいい。何か動き出したい欲求があるのなら、「今の自分」を諦める。「やーめた。知るかっ。」って感じで。その後は “とりあえず” 動き出したらいいのかなと。それで面白ければ続ければいいし、面白くなければ辞めたらいいでしょ。
究極、働き方なんかどうでもいいんですよ。
結局は手段であり、目的ではないし。
自分がフリーで映像クリエイターやってるのも、映像制作がめちゃくちゃ好きなのはもちろんですが、フリーという立場がスケジュールの調整が自由で、なおかつ属さないというプレイスタイルが自分に合ってると思ったから。もし制作会社に入った方が、それを満たせるってならそっちを選んでるかもしれないわけだし。
だから、もし「このままやったら面白くない」とか「こういう事やってみたい」って思うなら、まずは「今の自分」を諦めてしまおう。そこからの歩みを、一歩一歩大切に踏み出していけば景色はゆっくりと変わっていくはずだから。
とまぁ、そんな事を僕は思ってるわけです。